山田流筝曲/一中節「都一すみ」、笛「福原草百紫草」名取り
東京に生まれる。10歳のとき、偶然に見たテレビで放送された中能島欣一の箏演奏に感動し、箏の稽古を始める。お茶の水女子大学付属小、中、高等学校を経て、東京芸術大学音楽部邦楽科山田流箏曲専攻。在学中、山田流箏曲を人間国宝の中能島欣一芸大教授に師事。卒業時、皇居桃華楽堂にて御前演奏の栄誉を授かる。一中節を人間国宝の十一世都一中家元に師事し、1975年に「都一すみ」の名を許される。また笛を福原流宗家で人間国宝の寶山左衛門及び福原徹に師事し、1998年「福原百紫草」の名を許される。