松岡修造さん

プロテニスプレーヤー/スポーツキャスター
1967年(昭和42年)11月6日生。東京都出身。
10歳で本格的にテニスを始める。高校2年の時に総体単、複、団体で三冠を達成。その後、単身フロリダへ。86年プロに転向。92年KALカップで日本人男子選手として初めてATPツアー優勝。世界ランクも自己最高46位にまで上げた。95年のウィンブルドンでは日本人男子として62年ぶりにベスト8進出の快挙を成し遂げる。98年ジャパンオープンを最後にツアーを退くと同時に、ジュニアの育成とテニス界の発展の為に『修造チャレンジ』を設立。世界を目指すジュニアの為に「トップジュニアキャンプ」を開催したり、子供から上級者まで楽しめる「テニスクリニック」など全国で展開中。また、「報道ステーション」のスポーツキャスターなど、メディアでも幅広く活躍中。
僕がプロテニスプレーヤーとして年間10ヶ月海外で転戦していた頃、必ず持参していたのが「富士山」の写真でした。気持ちが弱くなった時、日本に帰りたくなったとき、「富士山」の写真を見ては“自分の目標に向かって頑張るんだ!”と勇気付けられていました。
特に、95年のウインブルドンベスト8に入ったときの試合では、チェンジコートの際にスポーツバッグに入れていた「富士山」の写真を何度も見ては“絶対に勝つ!必ず出来るんだ!”と力をもらったことを想いだします。
また、僕は富士山に対するイメージをあまり「綺麗」だとか「強い」といった視点では見ていないんです。よく富士山は「日本一」と言われますが、僕はそう言わ れる中でも悲観的なものが見えて、どこか完璧じゃないというところが富士山にはあるような気がして・・・、だから好きなんだと思います。それほど、僕にとってはなくてはならないものなのです。
富士山は、いつも違った景色を魅せてくれますよね。それは、季節の違いもありますが、自分の心の状態を表しているような、その時の心理状態によって、富士山の見え方、感じ方が変わっているのだと思います。今、僕は3人の子供たちにいろいろな「富士山」を見せています。天気のいい日に部屋から観える富士山、家に掛けてある富士山の絵、そして四季を通して彩られた富士山のDVD。“富士山は日本一”、“富士山は きれい!”など、子供たちなりに何かを感じてくれているようです。
以前、テレビ番組の企画で富士山周辺の環境について取り上げた番組に参加させてもらい、子供たちと一緒に本栖湖に潜ってごみ拾いをしたり、周辺の山に登ってごみ拾いをしましたが、あまりのごみの多さに驚いたとともに、怒りさえ感じたのを覚えています。
この富士山を世界遺産にする国民会議の活動は、日本全国的に富士山を通して日本の心、日本人のスピリットを改めて見つめ直すいい機会だと思いますので応援しています!