ヨネスケさん

落語家
1948(昭和23)年 4月15日生まれ。千葉県市原市出身。高校卒業後、1967(昭和42年)桂米丸氏に弟子入り。内弟子として噺はもちろんのこと、箸の上げ下げから礼儀を仕込まれる。1967(昭和42)年、浅草演芸ホールでデビュー。1971(昭和46)年4月、二つ目に昇進。この頃「笑点(日本テレビ)」の前座をつとめ「日曜招待席」では大喜利のメンバーになる。1981(昭和56)年10月、真打ちに昇進。1982(昭和57)年1月、放送演芸大賞ホープ賞を受賞。 1989(昭和64)年1月より古舘プロジェクトに所属。現在、社団法人落語芸術協会理事を務める。その人情味あふれるキャラクターで幅広い年齢層に親しまれ、16年間続けてきた日本テレビの『ルックルックこんにちは』の「突撃!隣の晩ごはん」では、全国津々浦々の家庭にいきなり訪問。同じく日本テレビの『ザ!情報ツウ』で「ヨネスケのあなたのグチ買います!」を経て2003年10月より 「突撃!隣の晩ごはん」が復活。アポなし訪問ながら、最終的に歓迎されてしまうのは、やはりヨネスケの人柄によるものでしょう。 また、その話芸はもちろんのこと、そこから繰り出されるヨネスケ独特の野球論は、ジャイアンツのファンだけでなく、野球ファン全体をも魅了している。 本職である、落語ではヨネスケ流「野球落語」を創作、披露している。寄席も数多くこなし、講演会やトークショーも「突撃となりの晩ごはん」の裏話や「スポーツ」などをテーマに全国各所にて行っており、今後もジャンルを越えた大いなる活躍が期待される。
私たちの世代は富士山に対して思い出というよりは、子供の頃から「富士は日本一の山、頭を雲の上に出し」と常に身近な存在でした。今みたいにスモックやガ スで見えにくいということも無く、私の出身地である千葉の市原市からも天気のいい日には富士山を見ることが出来ました。現在は、天気がよくても東京からは 見ることができません。やはり、これからは富士山を見えるような東京にしていくといいのではないでしょうか。でも、私にとっては昔のときの思い出があるも のですから、とても馴染みがあり、私にとって富士山とは“おふくろ、身内”みたいなものでした。
富士山の世界遺産化に関していうと、やはり身近な 存在であり美しく、日本人なら誰でも描けるのだから、当然、富士山の世界遺産登録は一番手になるものだと思っていました。しかし、昔の富士山世界遺産化の 際、それが達成出来なかったときはとってもがっかりしたのを覚えています。
私は仕事で東海道を行ったり来たりしていますが、新幹線に乗ると富士山 を必ず見ます。富士山を見ると一日良いことがあるような気がします。「霊峰富士」というのは富士山を表わす上で本当に良い言葉であると思います。やはり、 富士山は見ると思わず手を合わせたくなるような神の宿る山なのです。
古典落語の世界では富士参りというものがあります。私たちにとって昔から、富 士山はお参りする有難いものであるという感覚があるのです。さらに昔から、正月二日の晩にめでたい初夢を見る順番に並べたことばで「一富士、二鷹、三なす び」というくらい縁起の良い山です。ですから、昔から富士は日本人にとって大事な山だったのです。
しかし、現在は富士山が環境の変化で先ほどもい いましたが都心から富士山を見ることが出来ません。そこに私たちの世代と20代の世代の富士山に対する想いに違いがあるのではないでしょうか。昔の人は東 京からも富士山をよく眺めることができ、やはり富士山は日本一の山というイメージがあり、親しみを持っていましたが、現代の若者は見えないのであまり親し みを持つことが出来ない。そういうことから、富士に対する畏敬の念みたいなものが徐々に薄れてきたように感じます。ですから、ゴミ問題みたいなものが増え 続けるのではないでしょうか。
是非とも、そういう意味で富士山は世界遺産になって欲しいと思います。鳥居があって神社がある富士山は単なる山じゃない、神が宿る文化的な遺産として世界に知って欲しいのです。みんなで富士山を大事にしていきましょう。