三浦雄一郎さん

プロスキーヤー/クラーク記念国際高等学校校長
1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて 参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970 年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立(ギネス掲載)。2008年に向けて再び、エベレスト登頂を目指している。アドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、行動する知性人として国際的に活躍中。記録映画、写真集、著書多数。
「富士山 日本の誇りと信仰を高める山」

1962年、アメリカで行われたプロスキー世界選手権に出場したとき、必ず聞かれた質問は「フジ ヤマでスキーしたか」である。山スキーという分野では密かに「俺は日本一のヤマスキーヤーだ」と自負していた、お山のスキー大将たるぼくも、この質問をさ れる度に、宿題を忘れた小学生のような気持ちになった。
 滑るどころか、富士山には一度も登ったことさえなかった。当時の大半のアメリカ人の日本に関する知識といえば「フジヤマ、サクラ、ゲイシャ」の三点セット。日本にスキー場なんてないときめつけている無知なアメリカの山男たち、いや新聞記者でもそうだった。
アメリカに行ってにわか愛国者になったぼくにとって、何故かこれがいちばん心にひっかかった。「日本へ帰ったら必ず富士山のテッペンから滑るぞ」。
春、残雪の富士山を父と共に山頂から滑った。「フジヤマの斜面は世界一だ」それからは世界のどこへ行っても自慢できた。
あれから何度、富士山に登り、滑ったことだろう。
富士山頂からのパラシュートによるスキー滑降 ーー これが1970年のエベレスト大滑降につながり。70才でのエベレスト登頂も、まず富士山を登ることからはじまった。ぼくの世界へのチャレンジの原点は富士山からだった。
古来、富士山には日本人の心を育てる大きな霊力があった。“高きを志す魂に栄光あれ”と教えてくれた。
世界の山々のなかで富士山ほど詩に詠まれた山はなく、そして日本人の修験道の山として自然を尊う信仰 ーー 千年をこえる数えきれない人々の登り続けられてきた信仰の山、日本の誇り、富士山を世界遺産へ。