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富士山インタビュー

どの句にも“富士山を褒めること”と“富士山に褒められること”が含まれている気がします

今年で21回目を迎えた「富士山を詠む」俳句賞。
募集するのは“富士山にかかわるあらゆる分野の四季折々を詠んだ俳句”です。
富士宮市内の小中学生に限定した小中学生の部と全国の方を対象にした一般の部で、5人の選者により富士山天・地・人賞、佳作の入賞と特選、入選を決定します。
創設の経緯、俳句から見えてくる“芸術の源泉”としての富士山の魅力について、担当2年目の杉村知穂さんに伺いました。
創設から長く関わってこられた前任者で、富士山インタビュー47回にご登場いただいた当時富士宮市立郷土資料館館長だった渡井一信さんも同席してくださいました。
写真:飯田昂寛/取材&文:木村由理江

“富士山文化”を育むことが富士宮市の将来的な財産になる、という想いで創設

−「富士山を詠む」俳句賞の創設のきっかけは?

 富士山の西南部の1/4を占める富士宮市は当時、“富士山のあるまち”をコンセプトにいろいろな企画や計画を進めていた時期で、文化事業のひとつとして、前任者が提案したと聞いています。「“富士山文化”を育むことが富士宮市の将来的な財産になる」という想いがとても強かったようです。

−創設されたのは2003年。その年の5月に富士山は、国内の検討会で世界自然遺産の候補から外れています。文化遺産を意識して、というわけではないんですね。

 世界遺産のことは何も意識していなかったそうです。当時は「富士山が世界遺産になるなんて夢のまた夢だった」と聞いたことがあります。県庁に世界遺産推進部門ができたのも、4年後の2007年ですから。

−短歌ではなくて俳句にした理由は?

 前任者自身が俳句をやっていたことが大きかったようです。当時はサラリーマン川柳などもブームだったそうで、短歌より俳句の方が日本人には親しみやすいと考えたから、とも話していました。日本各地に俳句の街がありますが、どこも有名な俳人を出した街です。俳人は出していないけれど、「富士山を詠む」俳句賞を続けることでいずれ富士宮市が俳句の街として知られるようになったらいい、という想いもあったみたいです。どこに出しても恥ずかしくない俳句賞を創設しようと、当初から投句料は無料、入賞・入選作品は1冊の作品集にまとめて入選者全員に無料で送付することを決め、選者をどなたにお願いするかにもかなりこだわったと聞いています。

−募集部門はふたつに分かれています。一般の部は全国からですが、小中学生の部は富士宮市内と限定したのはどうしてですか。

 俳句賞の存在を周知させて募集を始めようと俳句専門誌に広告を出すことにしたんですが、お子さん向けの俳句の専門誌はありませんよね。当時はまだインターネットもそれほど普及していませんでしたから、全国の学校に周知させるのは難しい。それで富士宮市内の小中学校でやっている“富士山学習”という総合学習に取り入れてもらって、情操教育の一環として対応してもらえれば充分な数が集まるのではないかと考えたようです。集まらなかったら、その時にまた何か考えればいい、と。

−で、実際どれくらいの数の俳句が送られてきたのでしょう?

 1回目は全部で4301句の応募がありました。そのうち一般の部が2309句で、全都道府県と台湾から送られてきました。以後、波はありますが、小中学生の部と合わせて平均3800を超える句を毎回送っていただいています。1人1句と限っていますが、一般の部では1句に止まらずに何句も送ってくださる方もいらっしゃるし、7月の募集開始が待ちきれないのか5月頃に送ってくださる方もいます。締め切り直前の応募が多いのも、1年に1句ということで厳選に厳選を重ねてくださっているからだと思います。みなさんの熱い想いを感じますし、それだけ富士山という題材が魅力的だということなんだと思います。

過去20回の俳句賞の応募総数は約7万7000句

−送られてくる俳句を読んで感じるのはどんなことですか。

 俳句に親しみ、俳句のことがよくわかっている前任者と違って、私は俳句についてまだまだ知らないことが多く、俳句では大根を“ダイコ”と読むことがあると知って驚いたり、初めて触れる表現や言葉の意味を辞書や本で確認しながらですが、どの句にも自分がこれまで思い浮かべたこともない視点や見たことのない景色が描かれているので、とても新鮮です。小中学生の俳句もストレートで瑞々しくて素晴らしいんです。とくに小学校低学年のお子さんの俳句は、言いたいことはみなさん似たようなことなのに、見立てるものや表現が違ってハッとさせられることが多いです。全部ひらがなだったり、びっくりマークがついていたりするのもかわいいし(ニコニコ)。自分にも子どもが2人いるので、微笑ましいなと思いながら読んでいます。

−胸がキュンキュンするような句ばかりですよね。富士山の魅力を言葉にして確認するという行為が、その先も自分の心のモヤモヤを言葉にして確認し、腑に落としていくということにつながっていけば、生き方や人間そのものも変わっていくのではないかと思えて、羨ましかったです。

 俳句賞も創設から20年。1回目に応募した小学生たちは、もうみなさん成人しています。「その人たちが自分の子どもに富士山のことをどう伝えていくか、という段階に入ってきている。この先、新しい創造性に満ちた今までになかったような句が出てくると、そこに新たな“地域文化”が生まれてくるんだよ」と前任者に言われて、私もなるほどなあと思っているところです。

−みなさんに俳句を詠ませる富士山の魅力は、どこにあると思いますか。

 過去20回の俳句賞の応募総数は約7万7000句に上ります。私は過去の作品集や去年、今年の応募作品くらいしか読めていませんが、それぞれの人にとって富士山がいかに特別な山か、よくわかりました。見える場所に住んでいる人は現実の、見えない場所に住んでいる人は心の中の富士山と生々しく向かい合って、富士山に対する熱い想いの丈を17音に凝縮している。短い中にみなさんのさまざまな感情、エピソードが隠されているんですよね。そのすべてを受け止め、包み込んでくれるような大きさが富士山にあるから、みなさん、富士山の句を詠みたくなるのではないかと思います。“富士山を褒めること”と“富士山に褒められること”。どの句にもその両方が含まれている気がします。

自分の子ども達には毎朝、出勤する時に必ず富士山の話をしています

−富士宮市役所に奉職しようと思った理由を教えてください。

 生まれ育った富士宮市が好きなので、恩返しがしたいと思って入庁しました。一度も地元を離れて暮らしたことがありませんし、せんげんさん(富士山本宮浅間大社)や富士山の近くにいたいという想いが強いですね。自然も豊かだし、とても暮らしやすいところです。

−富士山に対する意識はどんなふうに変わってきていますか。

 小さな頃から毎日見ていたので、特別な存在と思ったことはほとんどなかったんですよ。でも今の部署に異動して、富士山を詠んだたくさんの俳句に触れたり、富士山にまつわるいろんな話を聞いて、富士山のそばで暮らせることは特別なことだし、富士山を大切にしなくてはいけないと思うようになりました。それを自分の子ども達にも伝えたい、一緒に子ども達と富士山の思い出を作りたいと思って、毎朝出勤する時に必ず子ども達と富士山の話をしています。「富士山の雪が白いドレスみたいだね」とか「雲で見えないけど何をしているのかな」とか。いつか「登りたい」と言ってくれたら嬉しいし、そしたら頑張って一緒に登ろうと思っています。

−これまで登頂したことは?

 2回あります。1度目は小学校6年生の時に、今も市でやっている“富士宮親子登山”でした。親は当日都合が悪くなってしまって、ひと家族に1人つくことになっている、インストラクターの知らないお兄さんが一緒に登ってくれたんですが、すごく楽しかったです。2度目は20代後半。友人に誘われて母と3人で登りました。その時は、八合目くらいからすぐそこに見えているのに登っても登っても頂上が全然近づいてこなくて、「この不思議な現象はなんだ? 一生このままだったらどうしよう」と心配になりました(笑)。本当にしんどかったですが、頂上に着いたら景色が素晴らしくて、日差しは強いのに空気が冷たく澄んでいて・・。その時の達成感は、忘れられないですね。なかなか頂上に辿り着けない苦しい時間が、自分自身と向き合う時間にもなったのも、予想していなかっただけにありがたかったです。とてもいい経験でした。

−ちなみに杉村さんは俳句は詠まれるんですか。

 いえ(苦笑)。去年4月に担当になってから俳句のことをいろいろ学ばせてもらっていますが、いざ自分が詠むとなると言葉が出てこなくて(苦笑)。でも俳句を読むのは大好きですので、是非、今年に限らず、来年、再来年と俳句賞に応募していただけると嬉しいです。

杉村知穂
すぎむらちほ

すぎむらちほ 1988年3月 富士宮市生まれ 市内の高校を卒業後、県内の専門学校へ進学。2009年から富士宮市役所に奉職。以降、市民の生活に根ざした部署に在籍していたが、2022年4月から現職。「まったく新しい世界でした」と当時を振り返る。一男(6歳)一女(4歳)の母。第1回「俳句賞」開催時は高校1年生。「募集は知っていたが、授業以外で俳句に触れたことはほとんどなく、応募はしなかったですね(苦笑)」。趣味はヨガ。
「富士山を詠む」俳句賞HP:
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/citizen/visuf8000000yfek.html
募集の締め切りは9月30日(当日消印有効)

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド
鈴木啓悟富士山写真家
松山美恵山梨県富士山科学研究所自然環境科助手

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