−中学2年生の河野少年の胸に響いた校長先生の言葉とはどんなものだったのでしょう。
「一歩一歩進めば必ず山頂に立てる」です。学校登山に出発する直前にその言葉を聞いて「楽しめそうだぞ」とワクワクしたし、遠くに八ヶ岳(阿弥陀岳)が見えて「あの山を目指せばいいんだ」と歩き出したら、一歩ごとに目標が近づいてくるのを実感できて「これはおもしろい」と。運動会の徒競走では何人かの友だちに「“イタちゃん”(河野さんのこと)とやると勝てないから一緒に走りたくない」と言われたりしていましたけど、山登りは時間を競うわけでもないし、運動神経もそんなに問われない。一歩一歩進んでいけば目標に辿り着けるというのが、すごくいいなあ、と思いました。そのあとは自分で結成した登山サークルや地元の登山サークルで山に登り、大学のワンダーフォーゲル部では基礎的な登山技術を徹底的に学びました。僕は山が好きでトレーニングもしていたから、4年間、本当に楽しかったです。体育会系の飲み会だけは苦手でしたけどね(笑)。
−大学3年の時に出会った方々の影響で卒業後は都留市のNPOで環境教育活動に携わっていたそうですが、その間も精力的に登山は続けていたんですか。
いえ。大学時代は年間100日〜120日くらい登ってましたけど、NPOに関わっていた5年くらいはほとんど登らなかったですね。登山を通して山の自然に触れてはいましたけど、その山の自然を農業や森づくりや自然保護という観点から見て活動することの方がおもしろかったんですよ。20代は体力もあるし、無茶できる期間だったので、ちょっともったいない気もしますが、自然への関わり方の視点を間違いなく広げてくれた期間でした。
−2016年に登山ガイドの資格を取られたきっかけは?
NPOを辞めて「自分はどうして自然と関わるのが好きになったんだっけ?」と思い返した時に「山登りからだったな」と。好きな山登りを自分の暮らしの中に置くにはどうしたらいいかと考えたら、“登山ガイド”に行き着いたということです。それで“山が好きだ!”というのがなにより伝わってきて、一緒に歩いてるとワクワクしてくるガイドの先輩の門を叩いたんです。毎週のように先輩のガイドに同行して4年近くいろいろ教わって試験を受けました。
−河野さんが考える山登りのおもしろさとは?
自分が決めた目標に到達する喜びはもちろんですが、僕は自然が全体的に好きなので、草花や樹木や動物や虫を見るのも楽しいし、山からの眺めや移り変わる四季の変化にも感動します。最近は歴史や文化にも興味があるので前もって調べたり、登っている時に見つけたものについてあとから調べたりもします。あちこちに同じような名前のついた坂があるのを見つけて謂れを調べると、昔の人の暮らしが見えてきたりしておもしろいんですよ。国立公園がどんなふうに保護されているのかを見るのも好きですね。山に関することはほとんど全部好きですし、自分が得たいろんな情報をお客さんに伝えることで、より幅広く、深く山を楽しんでもらえたらいいと思っています。自分が素直に素晴らしいと感じたら、お客さんの前でも普通に「いいね~!」と表現します。
−登山ガイドの資格を取得した2016年以降、“東北の高校生の富士登山”に毎回関わっていらっしゃるそうですね。
コーディネーションをしているツアー会社の契約ガイドとしてですが、比較的長く関わらせてもらってます。東北の高校生にはとにかく純朴さを感じます。初めて見る富士山の大きさに驚いたり、声を掛け合って登っている姿は微笑ましいです。発起人の田部井淳子さんが大好きだった「一歩一歩進めば必ず山頂に立てる」という言葉は、中学生の僕にも響いた言葉ですけど、日本一の富士山に登ることで東北の高校生たちは身をもってそれを実感できるわけですよね。「身をもって体験して体感する」というのは、このデジタル全盛の社会でとても大事な経験だと思います。山頂に向かって一歩一歩進む感覚や登頂した時の達成感を忘れずに、今後の人生に活かして欲しいなということは、いつも最後に伝えています。
−河野さんは登山ガイドだけでなくチームづくりのファシリテーターとしても活動されています。チームづくりの観点から思うことはありますか。
それで言うならこの夏ガイドした“小学校4年生から6年生の子どもたちの力だけで日本一の富士山にチャレンジする”という企画はおもしろかったです。ガイドの僕を含め大人のスタッフは後ろから彼らをサポートするという役割。平地とは違う過酷な環境で、しかも疲れてヘロヘロになりながら、まだ先へ進むのかもう進まないのかとか、高山病でぐったりしている仲間をどうするのかとか、子どもたちだけで話し合って決めていくんですよ。「山頂に行きたいけど、もうしんどいから諦める」と決断する子がいたり、苦しいけれど頑張ろうとする子がいたり。最終的にはスタッフの配置上もうチームを分散できないという理由もあり、九・五合目でのリタイアを彼らが決断したんですが、日本一の富士山にチームでチャレンジしたことは、彼らの今後の人生に活きる大きな経験になったと思います。
−富士山の登山ガイドをされていて印象的なことというと?
いろんなお客さんがいることです。例えば、八合目で「実は肺が片方しかありません」とカミングアウトしてきたり、トートバッグでやってきたり。驚かされることも多いですよ(笑)。もちろんどちらも「下りましょう」、「やめましょう」と説得しましたけど。小学校低学年の子たちがチャレンジしているのも印象的です。
−ドラマがありますね。
夏の富士山はそれを見に行くところでもあると思っています。富士山が他の山と違うのは、チャレンジする人のほとんどに登山経験がないこと。だから装備も十分ではないし、下山のことを考えてないから山頂に着いた時にはほぼ100%力を出し切っている。登山として問題があるのはわかりますけど、僕はそこに人間ドラマのおもしろさを感じるし、“個人のチャレンジ”として素晴らしいなと思う。山頂で涙を流したり感動してる様子も、富士山ならではです。そういうチャレンジをサポートできることに僕は喜びを感じています。全力を尽くしてチャレンジするお客さんの姿は、「よし自分もチャレンジしよう!」と奮い立たせてくれますね。
−最初に富士山に登ったのはいつですか。
大学生の時です。富士吉田市公認の登山案内人に応募して、その練習で登ったんじゃなかったかな。山頂まで行きましたけど、途中、高山病で頭が痛くなって、高所はあまり得意じゃないなと自覚しました。日本一の山に登ったという感慨? それはとくになかったです。小さい時から遠くに富士山を見ていましたけど、特別な思い入れはなかったし、登りたいと思うこともなかった。富士山で登山案内人を始めてしばらくは、おもしろみはあまり感じませんでした。樹木はないし、登山道も単調ですからね。大学の部活でやっていた2週間近い縦走登山の方が大変だったし、ずっとおもしろかったです。ただご来光と雲海がピカイチだと思います。他の山とはスケールが全然違う。富士登山はそれを味わうものだとお客さんにも話しているし、僕も毎回楽しみにしています。
−今は富士山のどんなところにおもしろみを感じていますか。
山麓とつなげて歩くことがおもしろいですね。一度山頂に登った人には、一合目から五合目を歩くことを勧めています。僕がとくに好きなのは精進口の一合目から五合目のルート。富士山麓は戦後、空襲で焼けた東京の住宅用の木材の供給地でもあったのでかなり伐採されてしまったんですが、そのルートには貴重な天然林が残っています。木は大きいし、種類も豊富で本当に豊かです。その森を抜けて先へ進むとだんだん樹木の背丈が低くなり、やがて森林限界を超えて富士山の山頂が見えてくる。植生の変化が見られて本当におもしろいです。歴史があるという点では吉田口の一合目から五合目もおもしろいですし、静岡側の村山古道もいいですね。
−毎夏富士山に登っていて、感じる変化はありますか。
気温です。初めて登った頃より気温が5度くらい上がっているんじゃないかな。8月でも溶岩の隙間にビシッとできていた氷柱を、見ることがなくなりました。あと、山頂に苔が生え始めて、それが増えてきています。気候変動に対してなにかアクションを起こせないかと思ってはいるんですけどね。
−気候変動だけでなく登山者の増加も富士山の自然には影響を与えそうです。危機感を感じているのでは?
富士山の自然保護もそうですが、富士登山のあり方についてはそろそろ転換点を迎えていると思っています。2023年のシーズンは登山者の事故が多かったと言われていますが、すべてを登山者のマナーのせいにするのはもう限界です。「弾丸登山はダメですよ」、「百均のカッパで登るのはダメですよ」と注意喚起するだけでは難しい。事故を起こしている人の何倍もそれで登れている人がいるわけですから。国や地方自治体、民間がしっかり連携してシステムを作り、登山者を管理する時期にきているんじゃないかと思います。日本の山は管理するのがなかなか難しい面もありますが、マレーシアのキナバルや台湾最高峰の玉山のように世界的な知名度や登山者数などを鑑みると、富士山はそこに踏み切る段階にきているのではないかと思います。
こうのいたる 1986年 埼玉県ふじみ野市生まれ 日本山岳ガイド協会認定登山ガイドⅢ。自由の森学園中学校・高等学校卒業。都留文科大学文学部進学後はワンダーフォーゲル部に籍を置き登山技術をみっちり磨き、長期間山に入る縦走や雪山登山、沢登りや海外遠征にも精力的に取り組む。卒業後はNPO法人都留環境フォーラムで環境教育活動に従事。2016年1月に日本山岳ガイド協会認定登山ガイドⅡを取得し、同年から“東北の高校生の富士登山”に関わる。チームビルディングのファシリテーターでもある。2児の父親。好きな山域は南アルプス。
河野さんのFacebook
https://www.facebook.com/itaru.kouno/?locale=ja_JP