−どんなお子さんだったんですか。
好きなことにのめり込むタイプでした。小学3年生くらいまで建設重機が好きだったんですけど、大人に負けないくらいマニアックだったというか(笑)。カメラも最初は見た目のカッコよさから入ったんですよ。だから最初は遊び感覚で家にあったコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を触ったり、シャッターをパシャパシャ押したりしてたんです。でも小学校5年生の時に、たまたま母から僕がカメラで遊んでいると聞いた祖父が「使ってないデジタルの一眼レフがあるから」って。一眼レフはコンデジと違って“ボケ”ますよね。それが新鮮で一気にハマっていきました。
−その頃すでに富士山を撮っていたんですか。
撮っていたのは花や野鳥です。富士山は誰が、どう撮ってもきれいに撮れちゃうと思っていたし、その時はまだ他の山と同じようにしか考えていなかったのでまったく撮る気にならなかったですね。でも中学2年生の冬の朝、いつものようにカメラを持って河口湖の周辺を散歩していたら“紅富士”が目に飛び込んできて・・。どこかぼーっとしたイメージしかなかった富士山が、その時は雄々しくて、神々しくて、本当にカッコよくて。こんな表情があったのか! と衝撃を受けました。そこから富士山は特別な存在になったし、もっと富士山のいろんな表情を撮ろうと、毎日撮るようになりました。
−毎日! まさに“のめり込んで”いったわけですね。
まずはネットでいろんな富士山の写真を見て、どこから、どんな時期に、どんな表情が撮れるのかを研究して、それから朝の散歩や放課後に撮りに行くようになりました。富士山のことも、富士山をどうやって撮ればいいかもわかってなかった最初の頃は、富士山が雲に隠れていても、雨が降っていない限り自転車に乗って出掛けてました。おかげで雲や風の流れ、時間帯によって景色がどう変化するかとかいろんな発見をしたし、富士山だけでなく河口湖の魅力を知ることができました。高校生になってからは、授業中も常に富士山や写真のことを考えてました(苦笑)。
−すでにプロの写真家を目指していたということですか。
きっと無理だろうと思っていたので別の道に進むつもりでした。でも高校2年生の頃からいろんなメディアで取り上げられ、たくさんの人に自分の写真を見てもらえるようになって少しずつ考えが変わったというか。家族や僕が“師匠”と憧れる方など周囲の支えもありつつ高校3年生の夏、自分の意志で高校卒業後はプロの写真家として活動しようと決めました。親はずっと「自由に好きなことをやっていいよ」と応援してくれています。
−プロの写真家として富士山を撮り始めて1年ちょっと。変化したことはありますか。
富士山のために自分ができることはないかと考えるようになりました。モデルさんにお願いする時にはお金を払うけど、富士山は自由に撮らせてくれますから。ゴミや環境の問題にも、真剣に向き合うようになりましたね。あと、富士山の魅力だけでなく、富士山を裏で支える人たちの話を聞いたり、ありのままの姿を撮りたいと思うようになったので、今、“富士山と富士山の麓に暮らす人たち”というテーマで写真を撮っています。富士山の山開きとか富士山にまつわる地元の祭りとかも、撮るようになりました。
−富士山の麓に暮らす人たちには、どんな共通点がありそうですか。
みなさん何かしら富士山との関わりを持ってはいるんですけど、富士山にはそれほど興味がないというか(笑)。見慣れすぎているからなのか、きれいだと思っても、県外や外国から来た人たちのように感動したり驚いたりはしないですね。でもだからこそ地元の人も知らない富士山を撮りたいと思うし、それを世界中に発信したいという気持ちは強いです。地元で生まれ育った母親が、僕の写真を見て驚いたり感動したりしてくれるとめちゃくちゃ嬉しいです。
−鈴木さんが好きな富士山も教えてください、時間帯とか季節とか場所とか。
よく撮っている時間帯は、富士山が肉眼でなんとか見える夜明け前から午前8時くらいまで。単純にきれいだし、表情がどんどん移り変わっていくんです。季節は・・。どの季節も好きですけど、一番は、山肌が緑から黄色に色づいていく夏から秋へ季節が入れ替わる時期ですね。場所はやっぱり河口湖です。初めての場所から富士山を撮るのも新鮮で刺激的ですけど、生まれ育った地元から見る富士山はやっぱり落ち着きます。裾野まできれいに見えるし。
−富士山を撮る時にこだわっていることはどんなことですか。
撮り方に“正解”はないから、それぞれ自分の好きなように撮るのが一番だと思いますけど、僕はど真ん中に富士山を入れて左右対称に撮るのが好きですね。富士山の魅力が一番伝わりやすいと思います。あと、水平をきっちりとることも大事にしています。人間も水平に見ているし、電線や大きなビルが斜めになっていたらドキッとするじゃないですか。見て安心できる、落ち着いた写真がいいなと思って。
−これまで見てきた富士山の中で、最も衝撃的だった富士山を教えてください。
2021年5月に山中湖で見た富士山です。そこにいたのは僕だけだったんですけど、富士山の上に雲があって、全体が真っ赤に焼けて・・。衝撃的すぎて、撮りながら手が震えました。ただそういう感動や衝撃が伝わる写真を撮るのってすごく難しいんですよ。毎回悔しいなと思うし、そこはこの先もずーっと追求していきたいです。
−インスタグラムの鈴木さんの写真を拝見していると、どうしてこんな瞬間の写真が撮れるのかと驚くものがたくさんあります。何か秘訣はありますか。「いい写真が撮れますように」といつも富士山にお願いしてるのでしょうか。
心の中では、そうですね(笑)。いろいろ撮ってきているので、今日、あの時間帯にあの場所へ行ったらこんな富士山の写真が撮れそうだとある程度想像はつくんですけど、相手は自然ですからね。そこから先はもう“お任せ”というか。自分でも驚くようなすごい写真が撮れるのって年に数回しかないんですけど、撮れた時には「本当にありがとう」って心の中でめちゃくちゃ思うし、誰も見たことがない富士山の写真を撮りたいという自分の気持ちに、富士山が応えてくれたのかなと思ったりはします。
−鈴木さんにとって富士山はどんな存在?
地元に住んでいるとどこからでも見られるので、常にそこにいて見守ってくれているイメージがありますね。富士山を見ると疲れも嫌なことも吹き飛ぶし、学校に行くのも楽しくなったし、苦手な勉強も頑張ろうと思えたし・・。もし富士山がここになかったら、どうなっていたんだろうと思います。あと、ちょっと大袈裟かもしれないですけど、自分の人生を変えてくれた、すごく大きな存在でもありますね。僕が紅富士を見たのは、一瞬、写真に飽きていた時期だったんです。あの時、紅富士に出会わなかったら、写真はやめていたかもしれない。今、こうやって写真家になっているのは、富士山のおかげという気がします。
−プロになって2年目。この先、富士山写真家として考えているのはどんなことですか。
一生富士山を撮り続けたいし、まだ見たことのない富士山を発信し続けたいという気持ちはもちろんあるんですけど、世界各国を旅したいと思っています。外国の人たちの暮らしや文化に触れることは、富士山や地元のよさを再発見することにつながると思いますから。そして一番気に入った国や街にしばらく住んで、そこで暮らしている人たちのありのままの姿を撮りたいですね。お金を貯めながら、ちょっとずついろんな国に行こうと考えています。
−最後に今後の富士山に期待すること、こうあってほしいと願うことを教えてください。
噴火のような自然現象は別として、今のまま、変わらずどっしり堂々としていてほしいし、見守り続けてほしいです。環境の問題は、僕たち人間でしっかり考えていきたいですね。
すずきけいご 2004年 富士河口湖町生まれ 2歳上の兄(現在大学でデザインを勉強中)と2歳下の妹がいる。3歳の時に祖父に連れられて初めてピクニックに行って以来、山登りは趣味のひとつ。河口湖周辺の山はもちろん、中学時代は南アルプスへも祖父と一緒に足を延ばした。富士山の写真を撮り始めてからは年に1度は富士山にも登っている。これまでは自転車を駆って撮影スポットを巡っていたが、まもなく自動車の運転免許を取得の予定。活動範囲の広がりが写真にどんな影響を与えるのか楽しみ。
鈴木啓悟のHP
https://fujisankeigo.supersale.jp
鈴木啓悟のインスタグラム
https://www.instagram.com/mt.fuji._.keigo/