みんなで考えよう

富士山インタビュー

夏の富士山はいろんな“人間ドラマ”を見に行く場所でもあると思っています

2012年夏、東京から富士山の麓に移住した松山美恵さん。
そこにいるだけで楽しい気持ちにさせてくれるような女性で、
いただいた名刺の裏には「マットペインター」、「イベント企画・司会」、「草の根文化応援隊」など肩書きが7つも!
好奇心と行動力が旺盛な方のようです。
中でも今、松山さんが最も力を注いでいるのは2021年から始めた山梨県富士山科学研究所自然環境科助手のお仕事。
どんな調査に関わり、そこからどんなことを感じているのかうかがいました。
写真:井坂孝行/取材・文:木村由理江

富士山の森の奥深くに入って調査することが多いですね

−山梨県富士山科学研究所 HP の“自然環境に関する研究分野”を見ると、「富士山を中心とした生物相の調査、動植物の生態や生態系の維持に関する研究と長期的・広域的なモニタリングを通じて、富士山の自然環境保全に資する研究を行なっています」とあります。松山さんはそこでどんな調査をされているんですか。

 研究員の専門分野、研究テーマによって調査はいろいろです。コウモリの観察で研究所の周囲にある森の観察路を毎日決まった量の時間歩いたり、宮沢賢治の『よだかの星』でもお馴染みのヨタカの調査で夜の演習場に入ったり・・。私が最初のころによく同行していたのはカモシカの研究員で、糞塊調査に必要なフンを採取するために一緒に山に入ったことがありました。カモシカは“溜めフン”をする動物で、排泄場所が決まっているんですよ。その排泄場所に行くには、カモシカの大好きな急斜面を行かなくてはいけない。調査にも山歩きにもまだ慣れてませんでしたから、急斜面の道なき道をカモシカみたいに歩く研究員の後ろについて、何度も滑落しかけながら必死に歩いていくのは本当に大変でした(苦笑)。でも途中から、本当は疲れているはずなのにどんどん体が動くようになって、どこに足を置いて、どこに掴まればいいかが瞬時にわかるようになったんです 。必死に研究員についていく私を、富士山の自然が導いてくれたのかなと今になって思います。一度だけの不思議な経験でしたけど、あの経験が生きているから、今も富士山の中で調査ができているんだと思います。富士山の森の奥深くに入って調査することが多いので、富士山の自然の豊かさをいつも感じています。

−屋外での作業がほとんどなんですか。

 屋内の作業もありますよ。例えば富士山のあちこちに設置しているセンサーカメラを回収して、何が写っているかを細かく記録するのも助手の仕事です。カモシカやシカ、ウサギ、キツネ、テンなどの動物だけでなく鳥類も含めたあらゆる富士山の生き物のいろんな姿を見ることができる。目はショボショボになりますけどすごく楽しい作業です。その映像を見ていると、野生動物がいかに食べ物を探すことに時間を使っているか、本当によくわかるんですよ。ミネラルを摂取するために石を舐めたり。動物にとって生きること=食べることなんだなと、改めて気づかされました。太陽がのぼり切るまでじっと朝日を浴びているウサギがいると、やっぱり朝日を浴びるのって大事なのかなと思うし、上手に休んだり遊んだりしているのを見ると人間にもそういう時間は大切だよなと反省したり。彼らを見ていると、狩猟採集生活は理想的なんじゃないかと思ったりもします。

富士山に現れた“農鳥”を見て、移住を決めました

−移住のきっかけを教えてください。

 2011年3月の東日本大震災で原発事故が起きた時に、食べ物のことがすごく心配になったんですよ。当時娘は3歳で、息子が9歳。二人に食べさせるものを自分で作りたいな、と。すぐに無農薬でお米を作る先生を探し始めたら、住んでいた八王子から車で通える富士河口湖町で自然農の田んぼの学校をやっている方がいらして、2012 年2月から通い始めました。そしたら籾から育てた苗が大きくなったころ、富士山に農鳥が現れたんです。それを見て「この土地の人たちはみんなあれを大事にしてるんだ。ここで暮らして農業をやるのは素敵だろうな」と。富士河口湖町がちょうど移住者向けの住居の斡旋などのシステムを整えていた時でとんとん拍子に話が進み、夏に河口浅間神社の参道脇の大きな農家に引っ越してきました。

−農業には以前から興味があったんですか。

 幼いころから自然は大好きでいろんな動物を飼ってもいましたけど、農業は・・。だから自分でも驚きました。大学を出て映像関係の仕事を始めてからはコンピュータの前に座りっぱなしでしたから、「こんなにインドアなのに農業やるって本気なの?」って。でも実際に始めたら自分自身が元気になれるし、自然の力のすごさ、不思議さに驚くことばかりで、どんな作業も「大好き大好き」って(笑)。今の調査の仕事もそうですけど、自然の中にいると子どもみたいな気持ちになれるんですよね。お米は本当においしかったし、無農薬で無施肥なのに年々収量も上がっていたので本当は続けたかったんですけど、シングルマザーで子どもを育てることになり・・。2年間、山中湖観光協会の職員と二足の草鞋でやっていましたけど、やっぱり難しくて諦めました。最後の米作りは、仲間たちに協力してもらって、よくある格子じゃなくて螺旋の形に手植えしました(笑)。その年のお米は、今も少しだけとってあります。

−山中湖観光協会ではどんなお仕事を?

 イベントをたくさん主催している観光協会なので、イベントの立ち上げと運営、そして広報です。山中湖は富士五湖の中でも私がとくに惹かれる湖なんですよ。天気のいい日は水面がキラキラ光って「天界ですか、ここは」と思うくらい他の湖とは雰囲気が違う。そんな山中湖でお仕事ができるなんて夢のようと思ったし、もともとイベントを立ち上げたり運営したりするのも好きでしたから夢中で働かせていただきました。3年半の間に、臨時職員から正職員、最後は主任にまでしていただいて・・。オフシーズンの静かな山中湖や周辺の森はとても素敵なので、オススメですよ。

「富士山に大事にされている、守られている」といつも感じながら暮らしています

−調査のお仕事を始めて4年目。富士山の自然に触れてどんなことを感じたり、考えたりしているのでしょう。

 うちの研究所が主催した富士山自然観察会で植物の先生から、森の樹木は最初の何十年かはなかなか大きくならないけれど、周りの老木が倒れて日が射し込むようになると一気に伸びる、そうやって森は数百年のスパンで変遷を繰り返しているんだと聞いて、人間の寿命とのスケールの違いを感じたり、GPS発信機をつけさせてもらっている動物の死骸を回収するたびに人間の理想的な死に方について考えたりします。人間はどうあるべきなのかということを、教えられている気がします。

−今後、富士山について知りたいことはありますか。

 つい最近、うちの研究所も関わった山小屋さん、自治体、麓の観光関係者さんなど富士山を本気で考える人たちのワークショップがあったんですが、みなさんが富士山の文化的な価値をすごく大事にされているのを知って、もっと富士講についてちゃんと勉強しなきゃいけないと思っているところです。昔の人たちは富士山に登ることで生まれ変わろうとしていたわけですよね。そういう富士山に対する人々の想いや、富士山がいかに神聖な山かということを訪れる人たちにもっとちゃんと知ってもらえたら、今、富士山が抱えている問題は、全部解決するんじゃないかと思います。私がここで米作りをやろうと思ったのも、富士山がそういう特別な山だったからじゃないかな。

−松山さんにとって富士山はどんな存在ですか。

 保護者です(笑)。米作りをしている時から、守られていると感じてはいたんです。台風も富士山を避けて移動するから、ほとんど被害を受けませんしね。でも今は、精神的な部分ですごく大事にされていると感じます。生まれ育ったわけでもない土地で、女手一つで二人の子どもを抱えて生きていくのは正直心細いけれど、富士山がいるから大丈夫っていつも思う。調査の仕事で夜の富士山に入ったりする時も、全然怖くないんですよ。富士山は私のお父さんだから、守ってくれるし大丈夫だよって思っています(笑)。

松山美恵
まつやまみえ

まつやまみえ 埼玉県生まれ 父親の転勤で高校3年間を盛岡で過ごす。日本大学芸術学部卒業後、映画など数々の映像作品にマットペインターとして関わる。2012 年春、富士河口湖町で師匠の教えのもと無農薬無施肥の米作りを始める。同夏に家族で移住。その後、山中湖観光協会に3年半勤務し、2021 年7月から現職。自ら脚本・演出を担当し、身障者の人たちとミュージカルを上演したことも。今後力を入れたいのは“草の根文化応援隊”。「隣のおばあちゃんの民謡を聴くとか、自分の想いを何かで表現するとか、上手い下手は抜きにした庶民の文化活動や文化交流を大切にし、応援したい」と話す。

山梨県富士山科学研究所 HP
https://www.mfri.pref.yamanashi.jp
取材協力/富士山吉田口登山道馬返 大文司屋
https://daimonziya.com

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド
鈴木啓悟富士山写真家
松山美恵山梨県富士山科学研究所自然環境科助手

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