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富士山インタビュー

富士山の恵みを受けた食材に出会って“自分の料理”が確立できた気がします

写真家であり富士登山ガイドでもあり、さらに蕎麦屋の店主でもあるという、
いくつもの顔を持つ渡辺守さん。
鳴沢村の自然と共に生きる彼のライフスタイルの中心には、
いつも富士山があります。
幼少期はそこにあるのが当たり前の風景だったという富士山の存在は、
やがて人生の転機や選択に深く関わるようになっていきます。
地域活動にも積極的に関わりながら、現在は大学で教鞭もとり、
富士山の多様な魅力を次世代に伝える活動に尽力しています。
そんな渡辺さんに、富士山と共にある暮らしについて語っていただきました。
写真:飯田昂寛/取材&文:永井理恵子
2025年6月4日

子どもの頃、富士山は「ただそこにあるもの」だった

―渡辺さんは、富士山のふもとで生まれ育ったそうですね。子どもの頃、富士山をどのように感じていましたか?

 子どもの頃の私にとって、富士山は、特別な存在ではなかったです。子どもの頃は、サッカーをしたり山で遊んだり、毎日暗くなるまで夢中になって遊んでいました。その風景の中にある富士山は、いつも私の目の前にあって、日常の中にある風景の一部でしかありませんでした。

―富士山を特別な存在に感じるようになったのはいつ頃ですか?

 進学のために上京したときです。都会の景色の中に富士山がないことに初めて気づいたら、寂しさのような感情が急に込み上げてきたのです。そして、私にとって富士山は、親や兄弟のような存在だったのだと痛感しました。そこにないことで、富士山の存在の大きさに気づいた瞬間でした。

―仕事にも影響を与えていたそうですね。

 専門学校を卒業してから、和食の世界に入りました。食材の産地や料理の盛り付けなど、仕事のさまざまな場面で、富士山や富士五湖、生まれ育った土地のことを意識するようになりました。例えば、料理の盛り付けでは、山水画を意識します。私の中では、富士山があって富士五湖があるような景色を意識して盛り付けていました。豊かな景色に抱かれる富士山麓で生まれ育ったことは、感性を磨くのに、とてもよい影響を受けていたと思います。

―現在は蕎麦屋を営んでいます。

 長女が小学校に入るタイミングで生まれ育った鳴沢村にUターンし、蕎麦屋を始めました。蕎麦打ちを始めたのは、都内のホテルで和食の修業をしていたとき、調理長に「田舎に帰るなら蕎麦打ちを覚えておくといい」と言われたのがきっかけです。基本の二八蕎麦のほか、さらしな蕎麦や季節の変わり蕎麦も習得しました。飽食の時代で美味しいものはいくらでもありますが、蕎麦はシンプルで美味しいものです。私が修業した築地さらしなの里の店主・赤塚昭二さんの口癖だった「蕎麦はうまくないけど美味しいよな」このひと言に尽きると思います。安心して口に入れることができるという食の原点を大切に、食材本来の味を生かせればよいと考えて、蕎麦を打っています。肩肘張らず、素材の味を楽しんでもらえればそれだけでよいとも思っています。

―地元の食文化ともつながっているのですか?

 はい。この地域は火山灰質の土壌で稲作が難しく、昔から麦や蕎麦、大豆が主な農産物でした。だから蕎麦はもともと郷土料理なのです。蕎麦粉は収量が少なく、特別な日に食べるハレの日の料理でした。それをいかに日常の食として根付かせるかというのも、私のテーマのひとつです。

―地元での活動も積極的にされているそうですね。

 地元に戻ってからはPTA役員を長く務めました。子どもが3人いるので、トータルで10年近く関わっていたことになります。PTAとは、本来は親が学び、社会に寄与するための活動だと思っています。地域のことを知る機会にもなりましたし、何より子どもたちのために何ができるかを考える貴重な時間でもありました。PTA活動を通じて子どもと接する中で、自分自身の感性も磨かれたように思います。固定観念にとらわれず、「みんなと同じじゃなくてもいいじゃないか」という逆転の発想が育ったのは、PTA活動での学びも大きかったと感じています。

「君には撮れない」のひと言から写真家へ、そして富士登山ガイドへ

―写真との出会いも劇的だったそうですね

 15年ほど前、常連のお客様から富士山の写真を見せられて「君には撮れないだろう」と言われたのがきっかけです。その写真は、残照が当たる富士山頂に月が乗っている「赤富士パール」と呼ばれるものでした。しかも富士山全体が真っ赤に染まるのではなく、グラデーションがかかっていて山頂付近だけが赤く染まっているという、秀逸な作品でした。撮影するのが難しいということを知らない私は、悔しさのあまり、翌日、すぐに一眼レフを買いに行きました。そして次の満月を待ち、撮影に挑みました。しかし結果は惨敗。そこから、試行錯誤の日々が始まりました。今なら、なぜ撮れなかったのかをよく理解できます。

―なぜ撮れなかったのでしょうか。

 月の軌道は楕円形で毎日月の出る位置が異なります。それに加え、富士山に残照の残る時間と撮影位置、富士山の高さと三つの関係で、満月の日、富士山頂に月が上がる時間には周りは真っ暗になってしまうからなんですね。以来、本やネットなどをフル活用して、独学で、撮影技術を学んでいきました。だんだんフォトコンテストに入賞するようになり、地元の自治体や企業から画像提供や撮影業務の依頼をいただくようになりました。

―独学でここまで来られたとはすごいですね。

 職人気質なんでしょうね。見て覚える、経験して自分のものにする。撮影スポットは日々歩きながら探していて、気象や光の条件を見てその日の行き先を決めることが多いです。自然の中で迷子になることもありますが、それもまた発見です。

―渡辺さんは、富士登山ガイドと自然監視員もされています。始められたきっかけは何だったのですか?

 富士山の写真を撮っているうちに、富士山にある山小屋のご主人のご家族にご紹介いただいて、ガイドの登録をしたのが始まりです。その後、登山の安全や人との関わりの大切さに目覚めて、ガイドとして本格的に活動するようになり、やりがいを感じるようになりました。また、自然監視員には、ガイド仲間にすすめられてなりました。自然監視員としては、登山者の安全を見守るだけでなく、富士山の自然環境を守る視点も求められます。富士山は多くの人にとって憧れの場所ですから、富士山周辺の自然を守る責任も感じています。

―富士登山ガイドとして、心がけていることは?

 まずは何よりも安心安全であること。せっかく来てもケガをしたら残念な思い出になってしまいますから。それから、登山は「誰よりもゆっくり歩く」ことをおすすめしています。とにかくゆっくり楽しむんだと思えるようになると、景色や空気を楽しむ心のゆとりが生まれる。結果的に傷病のリスクが減り、素晴らしい光景をたくさん楽しむことができます。それが満足度の高さにつながるんです。

―少人数制にもこだわっているそうですね。

 大人数だと一人ひとりに目が届かないですからね。4〜5人くらいで富士山に出かけ、同じ景色を見て感動を共有できる、そんなガイドを目指しています。富士登山をされる方の多くが山頂を目指すことにとらわれがちですが、富士山の魅力は、六合目や七合目でも十分に感じることができます。森林限界を抜けて突然ひらける景色を目にすると、まるで宇宙にいるような感覚に陥ります。

―富士登山というと、急峻な上り道を一歩ずつ必死に歩んでいくイメージがありました。誰よりもゆっくり、というのは意外です。

 実際に話を聞くと、富士登山にはキツい記憶しかなく、もう二度と登りたくないという方は案外多いです。ですので私は、もう一度富士山に来たい・登りたいと思えるようにアテンドさせていただいています。富士山は、登るだけじゃない、見る、知る、語る…。富士山との関わり方は人の数だけあると思っています。

富士山は学びの源であり人生の一部

―お子さんにも富士山のことを伝えていらっしゃるのですか?

 次女が大学進学で東京に行くとき、「富士山について、自分の言葉で話せるようにしておきなさい」と伝えました。富士山は日本人の心のよりどころで、日本人のアイデンティティの根源だと思います。だから、富士山の姿を見たとき、心が癒され、ほっとする。そして、富士山は多くの人が知っている存在ですから、富士山について、そして自分がその懐で生まれ育ったことについて語れることは、強みになるし、コミュニケーションツールにもなると思うんです。富士山のある土地に生まれ育ったという誇りを、言葉にして伝えてほしいと思っています。

―岡山理科大学ではどんな授業を?

 富士山をテーマにしたフィールドワーク型の講義をしています。縄文時代から現代までの時間軸を作り、そこに文学、宗教、地質、気象、植物などの要素を織り交ぜて富士山を学びます。幅広いテーマに触れることで、学生が自分の興味のある切り口で深掘りできるようにしています。

―富士山について、ご自身も学びを続けているのですね。

 ええ、むしろこちらが学ばせてもらっているのではないでしょうか。専門家とつながりながら、学びの「つなぎ役」として、学生たちに多様な視点を届けられる存在になれたらと思っています。富士山に関する一つのことを調べると、それがほかの分野や文化、自然の理解におのずとつながっていく。まるで一本の道が網のように広がっていくような感覚ですね。

―富士山は、今の渡辺さんにとってどのような存在ですか?

 なくてはならない存在です。恋人とか親とか、そういう言葉では言い表せないくらい、人生の一部です。これまで私が富士山から受け取ったものを少しでも多く、次世代に伝えていくこと、それが今の私の役割だと思っています。

渡辺守
わたなべまもる

わたなべまもる 山梨県鳴沢村生まれ。専門学校卒業後、東京都内のホテルで和食料理人として10年間研鑽。その後、家族と共にUターンして地元で蕎麦屋を開業。郷土食としての蕎麦文化の継承と、富士山の自然・歴史・文化を伝える活動をライフワークにしている。富士山の撮影をきっかけに独学で写真を学び、現在は写真家としても活躍。少人数制の登山ガイドや自然監視員としてフィールドワークにも従事する。岡山理科大学では富士山をテーマにした授業を担当し、学生たちに多角的な学びを提供している。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド
鈴木啓悟富士山写真家
松山美恵山梨県富士山科学研究所自然環境科助手
黒羽徹リストランテ桜鏡総料理長
渡辺守写真家/富士登山ガイド/蕎麦職人/自然監視員/岡山理科大学非常勤講師
蒲生由希富士山好きがつくる富士山グッズFuG  代表
浦郷敬山梨県観光文化・スポーツ部富士山観光振興グループ富士山保全企画担当主査

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